女性中間管理職ソルトの「へーそうなんだ~」日記

中間管理職、主婦業そして母親業やってます。自由に生き、自立した女性を目指し、好奇心の赴くままに生きています。また、またそんなお仲間を増やしたい。フォローよろしくお願いします。

ホットクックは、長い目で見て効率的

仕事が遅くなった!疲れた!

晩御飯作るのは億劫。

作る時間がない。

 

働いていると、家事をする十分な時間がなくて

困る時がある。

 

特に晩御飯作り。

 

食事は外食やお惣菜に頼るのは、

たまには仕方ない。

だけど、毎日だと、その味の濃さや、

野菜の少なさで、体調が途端に悪くなる。 

 

味の濃さに舌が切れたり、

毎日のお通じが出なくなるとか、

頭がぼんやりするとか…。

 

それが、ホットクックを上手く使えば、

作業時間は短く済み、レストラン、料理店

顔負けの味の料理、

野菜多めの料理をいただくことが可能。

 

これにハマると、外食やデパ地下のお惣菜は、

もう、食べたくなくなる。

はっきり言って、わざわざ高いお金を払ってまで

食べるのが馬鹿らしくなるのだ。

 

例えば、

 

スープカレー

材料はこれ

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ブロッコリー以外の材料と水を入れ、

スイッチを入れる。

ここまでの作業時間は20分。

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待つこと60分。

スープカレーの出来上がり。

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茹でブロッコリー、ゆで卵、とろけるチーズを

載せて、いただきます。

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コンビニのお弁当や、レトルトカレー

ひと味もふた味も違うカレースープの

出来上がり。

 

ハッキリ言って、カレー専門店や、

レストランのカレーと、全く

遜色がないと、ソルト自身は思う。

 

また、ホットクックによる具沢山の煮込みにより、

具材に歯ごたえが残り、彩りの良い料理が、

食べられる。

 

野菜を洗って切り、調味料を入れ、

下ごしらえの作業の後は、スイッチを入れて、

出来上がりを待つばかり。

 

「待つ時間が長すぎる」と言われそうであるが、

待っている間に、他の家事や用事を済ませることが

できる。

 

待つのが嫌ならば、仕事に出かける前の朝に

仕込むのもアリ。 

予約調理ができるからだ。

 

ソルトは、子供が小さい頃の20代、30代の

頃は、帰宅後、少しでも早い時間に食べさせたくて、

朝に晩御飯作りをやっていた。

 

50代のソルトは、もうその必要はなくなり、

朝のご飯作りは、しなくなったけど。

 

自炊で作ったご飯は、野菜をたくさん使う事が

でき、健康的。

 

ホットクックの自動調理機能は、

外食に頼らない食生活を送る手助けになる。

 

それを思うと、長い目で見て、ホットクックは、

得ではないかと思う。

 

関連記事↓↓↓

ホットクックは便利!忙しくて時間がないけど、どうしても美味しいものが食べたい人へ。 - 女性中間管理職ソルトの「へーそうなんだ~」日記

 

ああ、ホットクックって便利!と感謝する - 女性中間管理職ソルトの「へーそうなんだ~」日記

 

主婦25年目にして鍋炊きご飯のメリットを知る~炊飯器より早く炊けるし、何より飯が美味い。

ご飯は自炊派のソルト。
だから、ご飯も自分で炊く。
真空パックのご飯は、ついぞ買ったことはない。

 

白米は、炊飯器で。
玄米ご飯は、圧力鍋で。
で、長年炊いてきた。

 

そこに何の疑問も持たなかった。

 

しかし、何事もマンネリは良くない。

先月、ふとしたことで、土鍋でご飯を炊いてみたら
どうだろうか、と思いつく。

 

何故かと言うと、
・炊飯器に残ったご飯を、よそって保存用タッパーに詰める。
・金属製の内鍋と内蓋を洗う。

作業が、楽しくなく、ひどく、めんどくさく
思っている自分を、最近になって自覚したからだ。

 

無意識下に感じる好きとか嫌い、という気持ちに

敏感になり続けることが、ストレスの低減になる。

 

そこで、小ぶりの土鍋を活用し、毎食、必要な分

だけ炊く、と、いう方法を1週間続けてみた。

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これが予想以上に良かった。


良かった点は、次のとおり。

 

■小ぶりの土鍋は扱いやすい

土鍋は、口径(取っ手がないところの直径)が、
18cmのものを2000円位で買い求めた。

土鍋のサイズは、規格が明確ではないようで、
微妙に違うようだが、おそらく、これは、
6号のようである。

(といだ米と土鍋)

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また、土鍋は洗うのが簡単。 

米粒は、ぬるま湯につけておけば、落ちる。
また、土で焼いた素材に触れるのは、
なんだかほっとする。なんとも心地よい。

癒されるという感覚。

 

■炊飯作業は楽しい
火加減の調整も含め、簡単、楽しい。

土鍋はある一定濃度になると、一気に沸騰が進む。
だから、最初は、弱火で加熱を始める。

沸騰したら、さらに弱火にし、10分たったら火を

止める。
おかずを準備しながら、火加減を見るので、
火力調整は、予想していたほど苦痛ではない。

 

■炊きあがるご飯が美味い
炊き上がった飯粒は、水分をしっかり含み、
米粒の中までしっかり炊けている!と
いった感じである。
また、鍋底に出来るおこげは、
パリッとして美味い。

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■炊飯器を使用するより、早く炊きあがる。
これが、何よりも嬉しい誤算である。

鍋が沸騰したら、最弱火で10分加熱。

その後、火を止め、更に10分待つ。
そして、出来上がり。
ここまで、1時間もかからない。

1週間の間に、時間を計りながら、
2-2.5合の飯を炊き続けた。
火をつけてから炊きあがるまでの時間は、
最短で35分だった。

吸水せずに炊いたこともあったが、
さしたる失敗もなかった。

米を炊いてから、1時間もたたずに、

美味しいご飯が炊けるのは、

ありがたい限りである。

 

■詳細な炊き方

以下のサイトを参考にする。

親切に解説がなされている。

https://www.sirogohan.com/recipe/gohan2/

 

あと、土鍋の他に失敗しないために必要な

アイテムは、タイマーである。

ソルトの場合、台所のカウンターに、
Amazonスマートスピーカー
AmazonEchoを置いてある。
Amazon Echoをタイマーとして使っている。

スマートスピーカーだから、「アレクサ、タイマー10分セットして」などと、口で命ずるだけ。

水で濡れた手や、調理中で忙しい手を使わずして
タイマーを作動させることができる。
楽ちんである。

 

毎日のルーティンのご飯作りに、時短と変化を

求める方には、土鍋での炊飯をオススメしたい。

坊さんではなく尼さんから仏の教えを聞き、心のあり方について腹落ち、気持ちがシャキッとなる(その3)

ふとしたことでお坊さんの仕事、仏の教えに興味を持ち、

尼さんによる仏教講座に参加。

名古屋市にある慈雲寺のご住職、宮田隨麗住職による説法を聞く。

 

宮田住職による仏教の考え方を聞き、仏教の考え方で
今、自分が抱えているあらゆる悩み事が
クリアになるような心持ちがしてきた。

正直、仏教をマスターすれば、もっと
ラクになれそう、とも、思った。

 

仏教は、
「生きていることは苦」
というのが基本的考え方なんだそうな。

だから、背負っている物をバランス良く見つめる
知恵、勇気が、仏教なのだそうな。

そして、仏教は、「絶対的な幸せ」を求めることを
目指している、
という。

 

昔、30代のソルトに対し、
「世の中のことは、ほとんど思い通りにはならないと
思っていれば、諦めがつく」と、
言う職場の先輩がいた。

 

当時は、
世の中のことをそんな風にネガティブに捉えてしまうなんて、

なんてつまらない人なのだ、なんて弱腰なんだろう、
と、
残念に感じた。
また、自分はそんな風に世の中を捉えたくない、

すべてを楽しいものと考えたい、と、反発心も覚えた。

 

50になるまで人生を生き、マインドフルネスをかじった今なら、

「生きていることは苦が前提」というのは理解できるような気がする。

だからこそ、世の中の出来事に、
いちいち一喜一憂するものではない。
ありのままに捉え、必要以上に心を動かして、

不安定になる必要はない。

という理屈が、理解できる。


仏教は、
幸せになることを目指している、
ということについて、
ソルトは、異論がない。

しかし、多くの人が考える「幸せ」が、
意外と危ういものの上に成り立ちがちなのである。

相対的評価的な。

 

例えば、

〇〇と比べて、自分は幸せ、
人の不幸を見て、自分が幸せ、

と、優越感から、感じる幸せみたいな。
これは、ホンモノの幸せではない。

 

でも、人は、他者や何かと比べて、
「自分は幸せ」という評価をしてしまいがち。

 

絶対的な基準で幸せになれる
ことを仏教では目指している。

 

よく、ソルトは、仕事をしている中で、
上司や同僚管理者から受ける不条理な仕打ちに、
「ついていないなあ」「運が悪い」「不公平」
と、自分の不幸を悩む時がある。

また、子どもたちが有名学校に合格した、

子どもが就職したという人の話を聞いて、
自分の子ども達が、入試も就職も

うまくいっていない状態に
ひどく劣等感を覚える時もある。

そんな時、自分を不幸だと思っている。


反対に、ソルトに意地悪をする同僚管理者が

困っている場面を見て、「ざまあ見ろ」という

気分で、胸がスカッと愉快になることがある。


災害で、家をなくした人々を見て、自分は
住む家もあるし、普通に生活できて幸せだ、

と思ったりもする。

そんな時、多幸感が心のなかにあったりする。

 

こういった心の動き方は、仏教としては、
間違いなのである。

人と比べて、自分の幸不幸を判断している。

 

いけない、いけない、とソルト、反省する。

 

また、仏教は、一人になること、

他人に分かってもらえない寂しさを
否定的には捉えていない。

 

人は一人。孤独は幸せなのだ。

 

人との関わりによって、幸せを得ることもできるし、
互いに切磋琢磨することもできるが、

人は、死ぬ時は、誰かを連れて行くことも、
何かを持って行くことはできない。
元来孤独なのである。

 

また、誰かと群れたり、つるんだりすることにより、
自分で考えることをやめ、
思考停止になってしまう危険性がある。

会社の中、なにかのコミュニティの中に属していると

その中で物事を判断してもらえることから、

自分で考えることを怠ってしまうことがある。

 

一人で考えること、判断することの大切さ。

一人になることを恐れない。

 

これも目からウロコな教えである。

 

ソルトは、お友達付き合いが億劫と感じたり、

自分のペースを乱されることを嫌うことから
一人でいること好きなのだが、そのことに罪悪感を
覚えていた。


だから、そんな考え方は間違ってはいないのだ、と

お墨付きをもらえたようで嬉しく思った。

 

こうして、日々のもやもやを、整理する術を

仏教の教えを聞きながら学んで行けそうな心持ちになり、

期待をするソルトであった。

 

慈雲寺の宮田住職のブログです↓

このブログについて - 慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

坊さんではなく尼さんから仏の教えを聞き、心のあり方について腹落ち、気持ちがシャキッとなる(その2)

尼さんから学ぶ仏教講座。

と、初回の講座を受けてくる。

 

尼さんはどんな方なんだろう⋯と、
期待に満ち満ちた思いで、講師の登場を待つ。

現れた講師は、陽気でにこやか。
だけど、堂々とした態度で毅然とした印象。

 

名古屋市緑区の慈雲寺のご住職。
宮田隨麗さん。

 

張りのある力のある声で講義が始まる。

 

のっけから、

 

「仏の教えは、この文化センターに来て

教えてもらう、と、いうものではない。
お付き合いのあるお寺から教えてもらうもの。」

とおっしゃる。

 

どういうことかと言うと、

坊さんは説法するもの。
しかし、最近の坊さんは、
その勤めを果たしていない。
と。

 

そうか、
葬儀でお世話になったお寺の住職は、
お経をあげるだけが、その役割ではないのだ。
葬儀でご縁が出来たお寺なのだから、
そこで仏の教えを受ければいいんだ。

住職は、人々に説法することも責務である。

ということか。

 

確かに、仏の教えもなんであっても、

お付き合いを通じて、都度、

教えていただくのが自然であり、

最も合理的。

 

目からウロコ。

 

だけど、ソルトは気が進まなかった。

関係性がちゃんとできているならば、
お葬式をお願いした住職に頼ろう、

という気分になるのだろうけれど。
心は動かなかった。

 

また、そのお寺に通うのは、時間もかかるし、
寺の境内に足を踏み入れるのは、

心理的ハードルが高い。

 

ソルトは、尼さんのことを調べていて、

宮田住職のブログを知った。

↓↓↓

https://jiunji.hatenablog.com/

 

中日文化センターなら、電車1本で教室まで通える。

だから、文化センターで教えを学ぼうと思った。

そして、ここに来た。


「ご縁があった」ということ。

 

こういうのを、宮田住職の説明によると、

因果関係、という。

原因と結果の間に、条件(縁)がある、

という訳。

 

お布施についても、説明を受けた。

布施とは、自分の持っているもの、
自分ができることを、人に施すことであり、
喜んで捨てることができる程度、
全力投球できる程度、
に、施すもの。


利他の行である。


惜しいと思うなら、もっと減らせば良い。

だから、お布施について「いくらになりますか?」と、坊さんに尋ねるのは失礼にあたる。

父の葬儀の時の15万円のお布施が

高いと思えば減らせばよかったし、

妥当と思えば黙って支払えば良い。

それ以上の価値があると想えばもっと払えば良い。


布施とは、そういうものであることを

お坊さんは、本来説得すべき。

 

また、お坊さんも受け取った布施が

自分の思っていた金額より低くても

それを怒ったり、残念がってはいけない。

「して上げた」という思いに囚われるのは、

これもまたいけない。

 

ソルトは、先日、葬儀で世話になった住職に、
忌明けの法要と、その他、お寺てお世話になる
サービス(?!)の費用を、電話で問い合わせて
しまった⋯。

 

失礼と思われたくない、必要以上の出費を
したくないと思う気持ち(欲)にこだわっていた
が故である。

 

仏教、なかなか合理的で、奥が深い。
宮田住職の説明を聴きながら、いちいち感心するソルトであった。


(続く)

尼さんから仏の教えを聞き、心のあり方について腹落ち。気持ちがシャキッとなる(その1)

本テーマは、非常識・罰当たりと言われそうなのを覚悟で書いているものです。御容赦願います。

 

2023年11月末に父を亡くし、人の死そして、
葬儀について真面目に向き合う機会を得た。

ここで、自分の無知を思い知った。

 

葬儀の作法、お寺とのお付き合い、そして、
仏教のことなどについてである。
自分の実家が、どこの宗派なのかも聞かれたら、
すぐ答えられないような始末。

 

そして、この時、お坊さんに渡すお布施が、
結構な高額であることにびっくりもした。


葬儀屋の見積もりは、それぞれの費用が
明記されているが、お坊さんにお支払いする
お金は、料金表がない。

 

高級寿司屋みたい。
一体全体いくらかかるのか見えない、
よくわからない。

 

不安。

 

我が実家は分家であり、どこかのお寺の檀家で
はないまま、50年近く生活してきた。

お寺とのお付き合いが、日常的にはなかったのである。

 

そこで、今回お世話になった葬儀屋さんに
お坊さんを紹介いただくことに。


結果、通夜に1名、葬儀に2名の住職に
来ていただくことになった。

 

葬儀屋さんから、
「この場合、お布施の額は戒名付きで15万円」と、
アドバイスを受け、準備したお布施を
お坊さんにお渡しした。


戒名は、特別な文字を入れてもらわなかった。
特別な文字を増やす、要は立派な戒名にしていただくと、更にお布施の値は上がる。
なお、車代、お膳料、手土産代は別である。

 

葬儀の時、いわゆる通夜、葬式、葬儀後の初七日の
お坊さんの振る舞いと、お経を上げる様子を
つぶさに観察した。

 

いきなり出会う喪主にも、親しみ深く語りかけ、
遺族の気持ちを逆なでせぬよう、

上手く言葉を繰り出し話を合わせられる。
立派な人のようである。

態度は堂々と落ち着いている。


読経の声も、よく通る声で響きわたり、
ありがたい雰囲気である。

 

葬儀の時のお坊さんの法衣は、赤や青の色がはいり、オシャレだった。
蓮の花の華やかな刺繍が施されていて、美しい。
とても高価そうである。
そして、メンテナンスも大変そうである。

 

これらを鑑みて、15万円の金額に見合うのか
どうか考えてみる。

でもやはり、今までの自分の常識からすると、
ものすごく高額。

 

この先、法要がある度に、いくばくかの

お布施がいるようだ。
お寺さんとお付き合いするのは、

お金がかかるのだ⋯。

 

ふと、何気に、
「自分が、お坊さんの資格を取ったら、今後、
自前で法要のお経をあげられ、その分のコスト
抑えらるんじゃないか」
と、考えた。

 

そして、
「お坊さんとしての知識・見識を得られれば、
今よりも、己の人間性が出来上がり、いつも

いろんなことでぐずぐずと思い悩む必要が

なくなり、心の安寧が得られるのでは」
とも考えた。

 

そうだ、コスト削減と、実益を兼ねて、

仏の教えを学ぼう。
そして、僧の資格、僧籍を取ろう。

迷える人々の相談にも、僧の立場で乗ることができ、喜ばれる。

自分以外の人にも役立つではないか。

と、考える。

我ながら良いアイディアだとほくそ笑む。

 

だけど、いきなり、仏門の門を叩くのは、
かなりハードルが高い。

また、お寺に仏の教えを習うために通うのも、
まだまだハードルが高い。

さらに、男性のお坊さんって、女のソルトからすると、ちょっと抵抗がある。
今回お世話になったお坊さんは、一見、
親しみやすく陽気な方に見えたが、
一方的におしゃべりをして、自分のこと言いたいことはしっかりのたまう。
しかし、こちらが尋ねたいことを口に出す前に、
話を終えてしまうような人だったからだ。


少し見くびられているのかな?
そして、ちょっとばかりの圧を感じた。

 

尼さんなら、もう少し穏やかに、優しく、
ゆったり話を聞いてくれるかもしれない⋯。

ソルトは女だから、僧籍を取得すれば、
尼さんになる訳だし。

 

そこで、尼さんになるためにどうすれば
良いのか、僧籍を取得する方法について
ネットで、いろいろ調べてみる。

 

師となる住職に付いて、お寺に住み込んで
修行するのが、一般的なようである。

 

ソルトは勤め人である。
管理職として、責務を果たさねばならぬ身。
今すぐ仕事を辞めるのは、時期早尚である。


そこで、週末にお寺に通う方法で、仏の教えを学ぶ方法を模索することに。

 

近所に尼寺はないのか、と、探す。

名古屋のお寺、慈雲寺の住職の尼さんの

ブログを発見。

そして、その尼さんが、

市井の民に門戸を開いている中日文化センターで、
仏教講座で教えている、と、あるではないか。
月1回。
全3回の講座。

 

これは、願ったり叶ったり。

この尼さんに会ってみたい。

 

そして、まずは、これを聞くのはどうだろう。
これなら、最初のとっかかりとして、
自分に無理なく出来る感じがした。
申し込みを済ませる。


仏門を叩く第一歩の手前そのまま手前の
さらに前段階である。

 

そして、初回の講座に臨んだ次第である。

 

初回で、お寺との付き合い方、布施についての学びを得て、「そうだったのだ!」と、ものすごく腹落ちし、「仏教って合理的」と思ったソルトであった。

(続く)

Kindle書籍は耳読書出来るし、倍速で聴くことも出来て、効率的なインプットが可能

「本を読みたいけど、時間がない」という方へ。

 

Amazon電子書籍Kindleは、ご存知の方は多いと思います。


リアルで本を所有しなくても、クラウド上に本が持てます。

1冊の本を、スマホKindleペーパーホワイト端末、パソコンなど、複数端末で同期すれば、どの端末からでも、読みかけの続きから読めます。

お気に入りの本を、思いついたら、
いつでもどこでも、
ストレスなくすぐ読めるのが、魅力です。

 

近頃では、書籍の形態はさらに進化し、
音読してくれるAudibleのサービスもあります。

これは、目で文字を追うのでなく、耳読書です。
書籍の音声を購入し、耳で本を聴くのです。

 

Audibleを利用した耳読書を、一旦利用すると、
耳から情報を仕入れるやり方が、至極便利なことに
気づきます。

体や頭が忙しない時でも、耳は結構、ヒマしている
からです。
耳からの音声による情報収集量は、侮れません。

 

仕事と家事に忙しくて、なかなか自分のための情報インプットの時間が取れないと、長年嘆いていた
ソルトでしたが、この耳読書は、その悩みを一気に
解消してくれました。

 

歩きながら、電車に乗りながら、スーパーで買い物しながら、家事をしながら、お風呂に入りながら⋯と、ながらで、情報のインプットができます。

勉強のためにも、大いに役立ちます。

 

さらに、Audibleによる本の音読は、倍速再生も
できることから、高速での情報収集ができます。

 

ながら作業しつつ、耳から情報をインプットすることに一旦慣れてしまうと、Kindle書籍の文字を
目で追うことすらも、段々億劫になってきます。

便利な電子書籍であっても、本ですから、
じっと座して、
目で文字を追わなければ、読めないのですから。

 

ただし、Audibleにもまだまだ行き届かないところ
があります。
月1500円のサブスクリプションサービスで、
かなり多くの書籍が、聞き放題なのですが、
利用できるの本のラインナップは、限りがあります。

自分が、知識のインプットのために読みたい
ビジネス書の類は、本の種類により、
別料金を支払わねば、入手できないことが多いです。


そして、Audible版の別料金で購入する本は、
紙の書籍やKindle書籍よりも、お値段が高いのです。

また、Audibleは、音声だけを購入するものであるため、後から、大事だと、気づいたことを、目で追って調べてメモることはできません。

 

インプットのための書籍は、ある時は、目で文字を読み、時として耳で聴くことができるものが、
望ましいのです。

 

そうなると、書籍を所有する場合、Kindle書籍の方が理想的な時があります。

 

実は、Kindle書籍、音声で読み上げることができます。


耳読書できるのです。
Alexaを活用すれば可能です。

 

ソルトの場合、
iPhoneにAlexaアプリを入れ、Alexaアプリを
使用して読み上げさせる
AmazonスマートスピーカーAmazon Echoに読み上げさせる

の二つの方法により、Kindle書籍を読み上げさせ、
耳で聴く読書、をしています。

 

少し前までKindle書籍の文字を読み上げる機能は、
等倍速しかありませんでした。

しかし、近頃、Alexaの機能のバージョンが
上がったため、倍速で読み上げてくれます。
1.5倍、2倍の速度と、速度の切り替えも可能です。

 

ソルトがこれに気づいたのは、Amazon Echo

Kindle本を読み上げてもらっている時です。

 

Amazon Echoに向かって、
「アレクサ、Kindle本を読んで」とお願いした時、
試みに、
「アレクサもっと速く読んで」と、更に
お願いしてみました。

 

すると、なんと、「1.5倍の速度で読んでいます」と、
応えて、早口になってくれるではないですか。

 

「もっと早く読んで」と頼み続けたところ、
更に読み上げるスピードが速くなり、
2倍速までスピードが上がりました。

 

これは嬉しい、愉快な発見でした。

Alexaも少しずつアップデートして、

機能が進化し続けているようです。

 

これでまた更に読書量が増やせる、と、
ほくそ笑むソルトでありました。

 

「時間がなくて本を読むことができないんです」と
嘆くワーキングマザーは多いです。

しかし、音声によるインプット、電子書籍を活用した耳読書をオススメいたします。

AIと上手くお付き合いすれば、年間100冊の読書も、夢ではありません。

 

写真は、ソルトの鏡台の上に鎮座している

Amazon Echo

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上司の自分に対する評価を回り回って聞かされた時の部下の気分とは…

先日、訪問した社内のとある事業所で、OBの先輩から、聞かされた。


ソルトの上司が、自分の部のソルトを含む部下管理職のことを

「(仕事に)こだわりがない」と、評していることを。

 

「ああ、ソルトは、上司にはやはり信頼されていなかったのだな」と、理解する。

 

そして、上司にこう問いただしたくなる。

「どこをもって、ソルトたちが『こだわりがない』と判断したのですか?」

「そりゃあ、上司のあなたが、何をどう考えているのか、ちゃんと伝える

努力をしていないからですよ」

「上司のあなたこそ、部下に向き合い、部下を理解することについて、

こだわりを持ってきましたか?」

 

ソルトの上司は、部下である私達を、いきなり怒鳴りつけたり、毎朝、

挨拶をしても、こちらの目も見て挨拶をしない。

 

要は、余裕がないのだ。

 

毎日、自分の言いたい指示だけして、それ以上の会話はしない。

日によっては、その指示すらない時がある。

要は、言葉で部下に「伝える努力」をしていない人なのだ。

 

そのような上司では、部下は近付きがたく、己の考えを言いにくくなる。
そして、部下は、そんな上司にはついて行きたいとは、思わないだろう。

 

部下にこんな風に思わせてしまう上司は、

部下のモチベーションを少しずつ失っていることに

気付かないのか。

 

そして、人の陰口・不満、特に自分の部下についての陰口・不満は、

誰かに口に出して言うもんじゃないな、と、ソルトは

改めて理解する。回り回って伝わった時の本人の気持ちは、ヒヤッとなり、

心に刺さった釘みたいに残ってしまう。

 

言いたいことは、部下本人に、直接「言葉」で伝えよう。

 

それが、部下をうまく動かすコツでである。

 

 

メモをすること、記録することにこだわりたいと改めて思う。(2024年1月ウェブ心理塾セミナー感想)

セミナーを聴くのは、気力とか、まとまった時間が必要と考えて、ハードルが高くなりがち。

だけど、聴くと、間違いなく「聴いてよかった」

と思える。

そして、自分の中の思考の軸が、まとまる感じがする。

 

樺沢紫苑さんの主催する「ウェブ心理塾」。

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
1月20日(土)開催

アウトプットで現実化を加速する! ビジョン&目標設定・言語化セミナー
https://e-ve.event-form.jp/event/69274/2401N
△△△△△△△△△△△△△

 

1月期は、リアルタイムで聞けなかったので、

本日、パソコンの前に座って聴く。

 

充分な時間を確保できないので、1.5倍速で聴く。

高速にして聞くと、脳が遊ぶ余裕がないし、

内容もそれなりに頭に入ってくるので、

オススメである。

 

会場参加だと、周りの皆さんと一緒に学ぶことによる一体感や、

熱気によるモチベーションアップを体感できるので、

それが最も望ましいが、会場のある新宿までの移動も含め、

時間がかなりかかるのが悩ましいところ。

1回のセミナー自体は、約5時間半もの長さである。

 

自宅でのアーカイブの倍速聴講は、会場受講ではできない技で

ある。

アーカーカイブは、アーカイブの良さがあるのだ。

 

今回は、樺沢紫苑さんのセミナーの他に、ノート術の著作で

有名な安田修さんから、「目標達成ノート術」の

話を聴く。

 

ソルトは、自分なりにノートなど紙に書きつける事は元々好きである。

だけど、常に、それがうまく目標達成につながっているかと言うと、

そうではない。

計画倒れになることも多い。

だから、ノート術は、自分のやり方のおさらいのため

にも非常に興味深い。

 

安田さんは、ノートを使うことのメリットとして次のように説明する。

・書くことにより、頭の中でしか考えていない思考を整える効果がある。

・書くことによって脳のメモリーとかスペースを開けることができる。

・思考が活性化して、行動につながりやすい。

 

ソルト、これらは、既によく分かっている、でも、

それが時々実行できなくなるんだよね…。

 

今回、安田さんの話を聞いてソルトが面白いなぁと思ったのは、

「1人合宿」

のススメである。

 

ノートとペンだけを持って、誰とも会わない所に

行って、とにかく自分の頭の中にあることを

何でも良いから全て書き出す。

汚くても大丈夫、人に見せることを考えない。

何も書くことが思いつけないならば、そういう状態である、ということを書く。

ひたすら書く。文字にする。

スマホとかパソコンとか本など、情報を仕入れる、

インプットのためのアイテムは持たない。

 

安田さんの話を聞いていて、これは、

自分の内面にとことん向き合う修行だ、

世の中の喧騒を避け、自分を徹底的に、ストイックに

見つめる業だ、

と、ソルトは心得えた。

 

普段の生活をしていると、身の回りに起きるいろいろな出来事や、

家族を含めた周囲の人や、目に飛び込んでくるものに、つい

心を動かされてしまう。

そして、本当に自分が望むところとは違う行動や

考えに、走ってしまいがちである。

 

安田さんのノート術は、自分の心の奥深くに、どんな願望があるのかを

浮き上がらせるためのものなのだ、とソルトは心得る。

 

「合宿」と言う言葉からして、安田さんは

3泊4日の長期間、ビジネスホテルなどにこもって、

ひたすら書く、というやり方をお勧めしている。 

 

安田さんは、ノート術のポイントとして、

夢とか妄想をすることが出発点、と説明していた。

まず、それを10年先とか30年先などの長期的な視点

で考える。

そして、その夢に、期限を決めて、目標に落としこむ。

そのために、今、自分は何をしているのか、自分の

今までやってきた行動を洗い出す。

洗い出した内容に基づき、それに対する気づきは、何か考える。

それから次の1ヵ月に、その目標のために自分はどうするかを考える。

 

いわゆるPDCAサイクルのことである。

このサイクルをこまめに早く回すことについて、わかりやすく説明してくれた。

 

ここまでの説明を聞いて、なるほどなるほどと

ソルトは、理解する。

 

ただ、3泊4日のホテルにこもっての1人合宿は、

時間のない人たちには、非常にハードルが高い。

 

しかし、そこは安田さん、ハードルを下げた提案もしてくれた。

 

まずは、ベイビーステップということで、

30分だけでも、オーケーとのこと。

こういう説明を聞くと、自分でもできるかも、

と、俄然やる気が出てくる。

 

人になにかのスキルを説明をするときには、こういう落としどころが

大事だよねと思う。

 

そして、この30分の1人合宿でもいいから、

これを曜日や時間を決めて、定期的に行う。

ビジネスホテルでなく、カフェに行ったりとかでもよい。

 

ソルトは、普段、自分のビジョン・目標の見直しを、

家の中の目の前ごちゃごちゃしたところで、できるときに

やろう、という感じだったのがいけなかったのだと気づく。

 

この、曜日や、時間を決めて、定期的に行う、こまめに行う、

というのが、確立していなかった。

 

今後は、自分との約束を決めて、1人合宿を確実にやっていこうと思う。

 

2024年が明けて、すでに28日。

「昨年までの行動計画を見直し、1年の計画を改めて立てなきゃ、」

と思いつつ、仕事の忙しさ、仕事での人間関係、

仕事での予期せぬトラブルで、自分をちゃんと見つめ直すことができずに

行動がグラグラして早1ヵ月。

そんな状態の自分に少しイラついていた。

倍速で聞いたセミナーではあったが、

倍速で聞いたセミナーではあったが、モヤモヤしていた自分の気持ちを、

すっきりさせてくれた。

 

1人で悩む位だったら、樺沢さんのセミナーをサッサと聴け!と、

モヤモヤしている同志たちにオススメしたい。

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配偶者のことを「主人」と呼ぶ妹に、イラッ・モヤッとする

近頃、実家の両親の世話のことで、妹とやり取りする機会が増えた。


その妹が、自分の配偶者のことを「主人、主人」と呼ぶのが、どうも気になって仕方がない。

 

妹は、2つ年下。

2児の母。
契約社員
週に3日ほど働いている。
もともと公務員として保育士をしていた。
結婚して子供が生まれてから、時間に追われる生活に行き詰まりを覚え、退職。

しばらくしてから仕事に復帰。
しかし、正規社員の立場を選ばなかった。
幼児教室の講師となり、比較的時間に余裕を持った

ライフスタイルを送っているようである。

 

配偶者を「主人」と、のたまう妹の頭の中について、ソルトなりに仮説を立ててみた。

 

①無意識下の遠慮
自分が生活の稼ぎの主たる人物でないから、

世帯主の夫をそのように呼んで立てて、自分は一歩後の立場にいようとする。


②無意識下の甘え
自分自身に自信がないので、配偶者に頼ろうとする

考えが無意識のうちに働いてしまう。


③言葉の意味付けに無関心
男の配偶者のことを「主人」と呼ぶ従前の風習を、

単に何も考えず踏襲している。


④マウントを取る
離婚して配偶者のいないソルトに対し、私は配偶者がいる女なのよ、と、マウントを取りたい(笑)

 

妹の言動を見る限り、①②③のミックスのように見受けられる。

平常時は、妹の会話に「主人」は出てこない。
切羽詰まった時、苛立っている時、困った時、大事な話の時に、「主人が…」と登場する。
それに後押しされ、自分の意見を主張する。
自分の意見がまとまっていない、自分の意見として

言えない時に、主人、を、使用している。

 

ソルトは、結婚していた頃、自分の配偶者のことを
結婚当初から「夫」と呼んでいた。

「主人」というワードは、しつこいセールスに、絡まれたときの断る時の常套句としてのみ使っていた。

「主人に聞いてみないとわかりませんので」などと。

こういう言い方をすると、
「経済的決定権のない女」
「これ以上話をしてもムリ」
と、いうとらえかた方をされることが多い。
ツメの甘いセールスパーソンに対しては、この話法で、角を立てることなくやんわりとお断りすることが
できる。

 

よって、ソルトは、配偶者を「主人」と呼ぶ妻は、
家庭生活において、夫がイニシアチブを取り、
夫におうかがいを立てながら従者的に従う、と、いう構図で、生活を成り立たせているように感じる。

 

これは、奥ゆかしいと言うよりも、寧ろ、自信に

意思決定能力がなく、「主体性のない人」という

印象を、無意識下に周囲に与えているのでは

なかろうか。

 

妹が「主人」「主人」という言葉を繰り返すたびに、
我が妹は、そんな主体性のない人間だったのか、と
残念さと疎ましさが、私の中にムクムクと湧き上がる。


妹は、高校までは、私と同じ進学校に進んだ。
その後、短大で保育を学び、自分の望む保育士の職についた。
その仕事で、一生身を立てるのかと思いきや、
方向転換をした。
ここに彼女の意志が、仕事のキャリアを積むことにはなくて、家庭生活を円滑に運営することに興味と重きを置いていることが現れている。
私、ソルトとの違いが明らかになった瞬間であった。

 

ソルトは離婚し、夫がいない身の上であるから、
夫がいる身分の女性を、単に羨んでいるだけなのだろうか。
夫に頼ることができる権利を持つ「妻という座」を、
妬ましく感じているからであろうか。

 

いや、それは違う。

 

ソルト自身の中で、自分のことは自分で決めたい、
という考えが、常にあり、寧ろ、自由に、主体性を持って生きることに潔さを感じている。
だから、そうでないと思われる人間を見ると、
無意識下で嫌悪感を覚えるのだ。

 

これは、良い、悪いではなく、ソルト自身の志向に

基づく捉え方、感じ方なのだ。

偏見とかではない。

 

配偶者に聞いてみないと、分からない
配偶者が○○と言ったから、私はそうする
誰かに頼らないと、考えが決められない


等という人間は、カッコ悪い。

おおよそ自分の考えの真逆を行く。


出来れば、そういう思考の人とは、お付き合いしたくない、関わり合いたくない、と、心の奥底で思っている。

 

一昔前の事はどうであれ、今の時代、夫婦は平等
で、お互い考えていることを主張し合う、
意見を出し合う、お互い尊重し合うという関係を
保つべきである。

日本国憲法も、そう言っているではないか。

世の中の夫婦は、そうあって欲しい、その上で幸せになって欲しい、とソルト自身は考えている。


それが上手くいかなかったから、自分は離婚した。

自身は、そのようなことを他人に主張する立場でも
なければ、強要する権利もない事は、重々承知
している。

 

それでも、妹の「主人が…」は、ソルトの気持ちを

ひどく逆撫でする事は、まぎれもない事実である。


「女は黙って」ぐっとこらえ、妹と何食わぬ顔でやりとりするソルトであった。

やる気になればできるんだと思ったこと(その3)

77歳の我が母。

 

数年前からスマホを(iPhone SE)を渡してある。
しかし、一向にスマホの使い方を覚える気配が

なかった。

 

こちらから送る孫(ソルトの2人の息子達)の

近況記録の写真を見るだけ。


自分から電話をかけてくることもなければ、

メール、LINEも使いこなせない。

文字入力ができないので。

メッセージを送ることもできないのだ。

指先で、キーボードを操ることが上手くいかないので、そのレベルでつまずいたまま。

 

よって、Yahoo!Googleなどの検索エンジン
使いこなせない。

 

ボケ防止のために、なんとか教えこもうと

試みたものの、「私は勉強することが嫌いだから」

の一点張り。

 

母は、もともと文字を書くこと、学ぶことが非常に
苦手なのである。

 

ソルトが小学生の子供の頃には、習字や書き取りなどが上手くできないソルトに対し、鬼のように怒って、いろいろ叩き込もうとした癖に。 

 

全く親というのは、勝手なものである。

 

先月、84歳の父親が肺の調子が悪くなり、急遽入院。
実家には、母1人のみの生活となった。

 

すると、母曰く、「病院にいる父から、携帯に電話がかかってくるかもしれないので、電話の取り方を教えてくれ」と。

 

そしてLINEのトーク画面の見方も、熱心に聞いてくる。
エラい熱量である。

 

早速、週末に実家に出かけ、iPhoneの画面の画像を使ったカンタンな操作手順書を作り、教え込む。すると、3日間で、電話を取ること、LINEのトーク

開き方を覚えた。

iPhoneを母に渡してから、3年ほどは経つ。

その間、母のiPhone使いこなしレベルに
何の変化もなかった。

 

人は、人は、迫られると、意識が変わる。

そして、行動が変わる。
子供でも年寄りでも同じだなと実感。

 

そのキッカケが、こちらの思惑通りでないのが難しいいところであるが。

 

これを機に、もうちょっとiPhoneが使えるようになってほしいと思うソルト娘である。