女性中間管理職ソルトの「へーそうなんだ~」日記

中間管理職、主婦業そして母親業やってます。自由に生き、自立した女性を目指し、好奇心の赴くままに生きています。また、またそんなお仲間を増やしたい。フォローよろしくお願いします。

尼さんから仏の教えを聞き、心のあり方について腹落ち。気持ちがシャキッとなる(その1)

本テーマは、非常識・罰当たりと言われそうなのを覚悟で書いているものです。御容赦願います。

 

2023年11月末に父を亡くし、人の死そして、
葬儀について真面目に向き合う機会を得た。

ここで、自分の無知を思い知った。

 

葬儀の作法、お寺とのお付き合い、そして、
仏教のことなどについてである。
自分の実家が、どこの宗派なのかも聞かれたら、
すぐ答えられないような始末。

 

そして、この時、お坊さんに渡すお布施が、
結構な高額であることにびっくりもした。


葬儀屋の見積もりは、それぞれの費用が
明記されているが、お坊さんにお支払いする
お金は、料金表がない。

 

高級寿司屋みたい。
一体全体いくらかかるのか見えない、
よくわからない。

 

不安。

 

我が実家は分家であり、どこかのお寺の檀家で
はないまま、50年近く生活してきた。

お寺とのお付き合いが、日常的にはなかったのである。

 

そこで、今回お世話になった葬儀屋さんに
お坊さんを紹介いただくことに。


結果、通夜に1名、葬儀に2名の住職に
来ていただくことになった。

 

葬儀屋さんから、
「この場合、お布施の額は戒名付きで15万円」と、
アドバイスを受け、準備したお布施を
お坊さんにお渡しした。


戒名は、特別な文字を入れてもらわなかった。
特別な文字を増やす、要は立派な戒名にしていただくと、更にお布施の値は上がる。
なお、車代、お膳料、手土産代は別である。

 

葬儀の時、いわゆる通夜、葬式、葬儀後の初七日の
お坊さんの振る舞いと、お経を上げる様子を
つぶさに観察した。

 

いきなり出会う喪主にも、親しみ深く語りかけ、
遺族の気持ちを逆なでせぬよう、

上手く言葉を繰り出し話を合わせられる。
立派な人のようである。

態度は堂々と落ち着いている。


読経の声も、よく通る声で響きわたり、
ありがたい雰囲気である。

 

葬儀の時のお坊さんの法衣は、赤や青の色がはいり、オシャレだった。
蓮の花の華やかな刺繍が施されていて、美しい。
とても高価そうである。
そして、メンテナンスも大変そうである。

 

これらを鑑みて、15万円の金額に見合うのか
どうか考えてみる。

でもやはり、今までの自分の常識からすると、
ものすごく高額。

 

この先、法要がある度に、いくばくかの

お布施がいるようだ。
お寺さんとお付き合いするのは、

お金がかかるのだ⋯。

 

ふと、何気に、
「自分が、お坊さんの資格を取ったら、今後、
自前で法要のお経をあげられ、その分のコスト
抑えらるんじゃないか」
と、考えた。

 

そして、
「お坊さんとしての知識・見識を得られれば、
今よりも、己の人間性が出来上がり、いつも

いろんなことでぐずぐずと思い悩む必要が

なくなり、心の安寧が得られるのでは」
とも考えた。

 

そうだ、コスト削減と、実益を兼ねて、

仏の教えを学ぼう。
そして、僧の資格、僧籍を取ろう。

迷える人々の相談にも、僧の立場で乗ることができ、喜ばれる。

自分以外の人にも役立つではないか。

と、考える。

我ながら良いアイディアだとほくそ笑む。

 

だけど、いきなり、仏門の門を叩くのは、
かなりハードルが高い。

また、お寺に仏の教えを習うために通うのも、
まだまだハードルが高い。

さらに、男性のお坊さんって、女のソルトからすると、ちょっと抵抗がある。
今回お世話になったお坊さんは、一見、
親しみやすく陽気な方に見えたが、
一方的におしゃべりをして、自分のこと言いたいことはしっかりのたまう。
しかし、こちらが尋ねたいことを口に出す前に、
話を終えてしまうような人だったからだ。


少し見くびられているのかな?
そして、ちょっとばかりの圧を感じた。

 

尼さんなら、もう少し穏やかに、優しく、
ゆったり話を聞いてくれるかもしれない⋯。

ソルトは女だから、僧籍を取得すれば、
尼さんになる訳だし。

 

そこで、尼さんになるためにどうすれば
良いのか、僧籍を取得する方法について
ネットで、いろいろ調べてみる。

 

師となる住職に付いて、お寺に住み込んで
修行するのが、一般的なようである。

 

ソルトは勤め人である。
管理職として、責務を果たさねばならぬ身。
今すぐ仕事を辞めるのは、時期早尚である。


そこで、週末にお寺に通う方法で、仏の教えを学ぶ方法を模索することに。

 

近所に尼寺はないのか、と、探す。

名古屋のお寺、慈雲寺の住職の尼さんの

ブログを発見。

そして、その尼さんが、

市井の民に門戸を開いている中日文化センターで、
仏教講座で教えている、と、あるではないか。
月1回。
全3回の講座。

 

これは、願ったり叶ったり。

この尼さんに会ってみたい。

 

そして、まずは、これを聞くのはどうだろう。
これなら、最初のとっかかりとして、
自分に無理なく出来る感じがした。
申し込みを済ませる。


仏門を叩く第一歩の手前そのまま手前の
さらに前段階である。

 

そして、初回の講座に臨んだ次第である。

 

初回で、お寺との付き合い方、布施についての学びを得て、「そうだったのだ!」と、ものすごく腹落ちし、「仏教って合理的」と思ったソルトであった。

(続く)