女性中間管理職ソルトの「へーそうなんだ~」日記

中間管理職、主婦業そして母親業やってます。自由に生き、自立した女性を目指し、好奇心の赴くままに生きています。また、またそんなお仲間を増やしたい。フォローよろしくお願いします。

坊さんではなく尼さんから仏の教えを聞き、心のあり方について腹落ち、気持ちがシャキッとなる(その2)

尼さんから学ぶ仏教講座。

と、初回の講座を受けてくる。

 

尼さんはどんな方なんだろう⋯と、
期待に満ち満ちた思いで、講師の登場を待つ。

現れた講師は、陽気でにこやか。
だけど、堂々とした態度で毅然とした印象。

 

名古屋市緑区の慈雲寺のご住職。
宮田隨麗さん。

 

張りのある力のある声で講義が始まる。

 

のっけから、

 

「仏の教えは、この文化センターに来て

教えてもらう、と、いうものではない。
お付き合いのあるお寺から教えてもらうもの。」

とおっしゃる。

 

どういうことかと言うと、

坊さんは説法するもの。
しかし、最近の坊さんは、
その勤めを果たしていない。
と。

 

そうか、
葬儀でお世話になったお寺の住職は、
お経をあげるだけが、その役割ではないのだ。
葬儀でご縁が出来たお寺なのだから、
そこで仏の教えを受ければいいんだ。

住職は、人々に説法することも責務である。

ということか。

 

確かに、仏の教えもなんであっても、

お付き合いを通じて、都度、

教えていただくのが自然であり、

最も合理的。

 

目からウロコ。

 

だけど、ソルトは気が進まなかった。

関係性がちゃんとできているならば、
お葬式をお願いした住職に頼ろう、

という気分になるのだろうけれど。
心は動かなかった。

 

また、そのお寺に通うのは、時間もかかるし、
寺の境内に足を踏み入れるのは、

心理的ハードルが高い。

 

ソルトは、尼さんのことを調べていて、

宮田住職のブログを知った。

↓↓↓

https://jiunji.hatenablog.com/

 

中日文化センターなら、電車1本で教室まで通える。

だから、文化センターで教えを学ぼうと思った。

そして、ここに来た。


「ご縁があった」ということ。

 

こういうのを、宮田住職の説明によると、

因果関係、という。

原因と結果の間に、条件(縁)がある、

という訳。

 

お布施についても、説明を受けた。

布施とは、自分の持っているもの、
自分ができることを、人に施すことであり、
喜んで捨てることができる程度、
全力投球できる程度、
に、施すもの。


利他の行である。


惜しいと思うなら、もっと減らせば良い。

だから、お布施について「いくらになりますか?」と、坊さんに尋ねるのは失礼にあたる。

父の葬儀の時の15万円のお布施が

高いと思えば減らせばよかったし、

妥当と思えば黙って支払えば良い。

それ以上の価値があると想えばもっと払えば良い。


布施とは、そういうものであることを

お坊さんは、本来説得すべき。

 

また、お坊さんも受け取った布施が

自分の思っていた金額より低くても

それを怒ったり、残念がってはいけない。

「して上げた」という思いに囚われるのは、

これもまたいけない。

 

ソルトは、先日、葬儀で世話になった住職に、
忌明けの法要と、その他、お寺てお世話になる
サービス(?!)の費用を、電話で問い合わせて
しまった⋯。

 

失礼と思われたくない、必要以上の出費を
したくないと思う気持ち(欲)にこだわっていた
が故である。

 

仏教、なかなか合理的で、奥が深い。
宮田住職の説明を聴きながら、いちいち感心するソルトであった。


(続く)