他人が、良かれと思って、いろいろなことを言ってくれるものの、それを受ける自分にとっては、何だか気が重い、場合によっては腹立たしくなる、という出来事が、時々ある。
「こうしたら?」
「あーしたら?」
「こういうのもあるよ」
「ああいうものもあるよ」
と、いう類のものである。
あと、自分の話題を話し始めたのに、
相手がその話題をさらってしまって、
相手が自分自身のことを、とめどもなく語り出す、
そして、その話題は、自分にとっては、どちらでも良いような話題、という類のことが、時々ある。
そんな時も、内心ゲンナリする。
自分が若い頃、子供のから20-40代の前半までは、あんまりそんなことで不快さを感じることはなかった。
親や先生とか、会社の上司とか、先輩などから、いろいろなアドバイスや、しつけ的な言葉を言われるたびに、「そうなんだ」と思って素直に聞いてきた。
反発をするとか、ストレスを覚える、
という事は、左程なかったように記憶している。
「言われた事は素直に聞く」みたいな感じ。
それが、今の自分を形作ってきた、とも思っている。人の言葉を信じ、従順であるがゆえに、吸収できたものも多くあった。
そのかわり、自分自身がどうしたいのかという意志が、弱かった。
よく喋る人、大活躍する人の後ろに立って、そういった人の活躍を、指をくわえて見ている、みたいなスタンスだった。
自己主張をしないから、単に従順という感じである。
しかし、40代、50代と歳を重ねるにつれ、自分の気持ちに正直になることを覚えた。
以下の様々な経験により、人の心を努めて観察するようになり、それと同時に、自分の心も、観察するようになり、自分の気持ちを尊重することを学んだからである。
♯自分の子供の不登校・ひきこもり問題に向き合うこととなり、解決のために、専門家や、様々な人からアドバイスを受ける。
♯信頼の置ける人から、
「自分の気持ちに正直になるように」
「自分の気持ちをきちんと伝えるように」
と繰り返し言われ、自分の心に蓋をすることを少しずつやめられるようになった。
♯会社で、管理職となり、
上司、同僚、部下社員など、相手の考えている事を理解しようと努めるようになった。
♯マインドフルネス瞑想を学び、
自分の心を客観視する練習を重ねている。
♯コーチングの手法を学び、傾聴とはどうあるべきかについて、日々考えるようになった。
などなど。
おかげで、私は、自分の心理状態が、
今現在、
快か不快か、
ということを、
非常に、客観的に見つめることができるようになった。
他人から言われる言葉に対し、
今自分がどう感じているのか、
という事についても、敏感になってきた。
前述の、
他人から良かれと思って言われる言葉についても、自分が必要だと思っていないことの場合、
自分の警戒心がかなり逆立っていることを、
ものすごく自覚する。
そして、気持ちが、段々重くなってくる。
それ以上、その人たちとのやり取りを続けることが苦痛になる。
しかし、これって、自分が息子たちにやっていることと、同じなんだろうなと、
先日、はたと気づく。
子供たちに対し、
♯良かれと思って、あれもこれもと方策を示す。
♯こういう心配があるから、こうした方が良い。
♯いらない、と言っているのに、なおも勧める。
とか。
これらが、子供達のヤル気を削ぎ、気持ちを重くしているのだろう。
だから、やり過ぎ、言葉のかけ過ぎってのは、
良くない。
誰もが、独立した1人の人間なんだから、
そこは、尊重の上、寄り添う姿勢が大事なんだろう。
そんなことに気づかずに、愚を繰り返す。
自分だって、人に押し付けがましい余計な世話を焼いている訳だ。
ほんとに、人って愚かなものだ、と苦笑したりする。
そして、自分の子供は、何も考えずに従順だった子供の頃の自分と違い、若いうちから自分の気持ちに敏感なんだなぁ、
それを、不登校やひきこもりの形で、主張してる訳だ、と、感心したりもする。
息子たち、将来大物になってくれれば、
いいけれど。