高校1年生の1月ごろ、「学校は行く意味がない、人と関わるのが嫌だ」と最後の最後に所属する単位制の通信高校へ全く行かなくなってしまった次男。
結局、高校1年生が取得するべき単位をまるまる落とし、取得単位ゼロ。
そのまま学校を休学しつづけ、19歳となった次男。
その間、「この先どうするの?」という母からの問いに対し、無言を貫く。
誰に似たのか、強情な次男。
今年度も終わりに近づいてきた。
次年度をどうするのかという事について、そろそろ決断しないといけない。
今までは、わずかな望みをつなぐべく、母親の私が、毎年、休学届けを出してきた。
しかし、次男は、すでに大学1年生相当の年齢。
今更、好きではない学校生活に飛び込んで、復学して勉学に励むとは思えない。
今までの状況からして、もう本人、「退学する」と言いそう。
このたび、次男、担任の先生とのzoomよる面談を受けた。
担任の先生、といっても、次男が休んでいる間に次男の学校に着任した先生で、次男とのやりとりは今年度に入って2度のオンラインによる面談のみである。
先生、とても前向きな感じ。
なんだか、惹きつけられるような明るさ、陽のイメージを感じる。
先生との約束の時間を私が取り付け、本人にこの時間にzoomにつなぐよう言い含めておく。
私は、日中は会社に行くので、zoom面談に付き合うことができない。
ちょっと心配したが、先生から、すっぽかしたという連絡もなかったので、どうやら本人、約束の時間にzoomをつないで先生と面談をした模様。
しかし、どんな話になったのか、本人から報告なし。
「どんな話をしたの?来年は学校、どうするの?」と、Skypeを使って問いかけると、次男、👍の絵文字のみをLINEのスタンプのようにして返してくるのみ。
どうも合点がいかない。
仕事を早々に切り上げ、学校に電話し、担任の先生に取りついでもらう。
先生から、「〇〇くん、来年度は、学校に行く回数を極力減らした形のコースで復活する、と、決断しました。もう退学する、と言い出すかと思ったのですが…」とのこと。
先生もびっくり。
私もびっくり。
だけど、2人して、よかったよかった、と喜び合う。
先日、次男と少しばかり言い争いになった後、次男がプイッと、岐阜県の金華山登りに一人で行ってしまったが、本人は本人なりに自分の将来の事について、いろいろと真剣に考えたようである。
山登りから帰ってきた日は、次男、何も語らなかったが、岐阜の駅から金華山まで歩いて行ったようであり、金華山近くの伊奈波神社に寄って、お参りにも行ったようだ。
山登りした翌日になって、伊奈波神社の境内の写真と、そこで絵馬がいっぱいぶら下がっている写真の2枚を私に送ってきた。
次男は、去年まで神社仏閣にお参りに行くような趣味はなかった。
毎年の初詣なんて、誘ったってついて来なかったし。
次男が送ってきた絵馬の写真を見ると、その中の1枚に「ニートやめれますように!」と書かれたものがある。
次男に、「あー、君の他にも、こんなこと考えて願ってる人がいるんだね、世の中、みんな似たような悩みがあるんだね」と笑って話すと、
次男、「それ俺の」とのこと。
本人は、本人なりに今の状況を真剣に悩んでいるということを理解した。
神頼みをするとは、思いもよらなかった。
次男は、中学校の頃から「人とのやりとりが苦痛である」と常々言っていた。
学校での、「友達と和気あいあいに仲良くする」という考え方に違和感を覚え、それで学校生活が嫌になってしまったというのもある。
人とのやりとりが苦痛、人に見られたくないという状態であったが、ここ3年ぐらいの間に、少しずつ、少しずつ、1人で外に出られるようになってきた。
近所の散歩から始まり、スーパーへのお使い、床屋での散髪、歯科への通院へ自主的に行けるようになってきた。
そして、最近では、近所の喫茶店に行って、お一人さまモーニングを体験し、その他の飲食店にも1人で入れるようになってきた。
そこで働く大人たちとのやり取りをし、見ているうちに、何かを感じ取ったようである。
近頃は、私の代わりに、自主的にスーパーへ買い出しに行ったり、晩御飯を作ったりしてくれるようにもなってきた。
なんだか、内にこもりがちであった次男の目が外に向き出したようで、良い傾向のように思われる。
次男よ、今度こそ、ちゃんと3年間勉学を続けて、高卒資格を手に入れてくれるといいんだけど…。
でも、がんばりすぎて、どこかの時点で、やる気をなくしちゃったりすることもあるかもしれないね。
ま、それはそれでも良いか…。
人生は長いんだから、浮き上がっては沈み、沈み続けて、やる気がみなぎってきたら、また浮き上がって…と、いった感じで、いろいろあってもいいかな!と思えるようになってきた母である。