女性中間管理職ソルトの「へーそうなんだ~」日記

中間管理職、主婦業そして母親業やってます。自由に生き、自立した女性を目指し、好奇心の赴くままに生きています。また、またそんなお仲間を増やしたい。フォローよろしくお願いします。

お坊さんから座禅を習ってみて新たな知見を得る、そして考える

「毎日1ミリ前進!」を目指す女性中間管理職ソルトちゃんです。

 

お寺のお坊さんから、座禅を習ってみました。

それもオンラインで。

座禅については、数年前から興味がありましたが、日程や場所に折り合いがつかず、叶いませんでした。

 

今の時代、本当に便利です。

大抵の事は、そこに行かなくても習うことができます。


座禅のセミナーの案内URL

 

 

 

いかなる時でも、平常心を持ち続け、己のパフォーマンスを上げるため、ソルトちゃん、マインドフルネス瞑想とか瞑想のやり方を、今まで書籍やオンラインのセミナーで習ってきました。

 

しかし、お坊さんから座禅について教えていただけるというのは、なんだかそれだけでありがたみが増す、というモノであります。

 

頭の中を空っぽにすることの重要性について、更に、意識を高めることができました。

 

今回、1時間半のセミナーでした。

 

最初、15分間の座禅に1回取り組み、住職の禅の教えについての説明を受け、その後再び15分間の前に1回取り組む、という流れでした。

 

今回教えていただいたのは、東京台東区にあるお寺、全生庵の住職、平井正修(ひらいしょうしゅう)さんです。

 

ちなみに全生庵は、明治時代に、山岡鉄舟が建立したお寺とのこと。

ソルトちゃん、歴史にとんと疎いので山岡鉄舟は、名前しか知りません。

幕末から明治時代にかけての人です。

剣と書の達人、そして禅の心得があったとのこと。

 

全生庵は、徳川幕府から明治政府ができるまでの間に、殉教した人たちを祀るために山岡鉄舟が、お金を出したそうです。

それも、自分の書をたくさんたくさん書いて、それを売ったお金で。

蓄財をしたお金でお寺を作るという話と違い、自分の持つ文化的な技や、人望でお金を集めてお寺を作るという話には、興味を覚えました。

 

以下は、初めて習った座禅で、ソルトちゃんが、ホウ!と思ったことについて共有いたします。

 

仏教の教え…

義学と座禅の2つに分かれる。

義学とは教義、教えのこと。

座禅とは、修行、行を行うこと。他の宗派よりも、座禅を多目に取り組むのが禅宗なんだそうです。

 

禅宗のお坊さんの修行…

最低3年間の修行をひたすらするそうで、その修業は、体を動かして一日中働くことが、メインなんだそうです。

山の中に入って作業するとか、、、。

勉強よりも、目の前の作業にひたすら取り組むのだそうです。

 

禅の教えのことを「公案」という

公案集なるものがあり、課題集のようなものです。

これを元にして禅の教えを学ぶそうです。ただし、考える、とかいうレベルではなく、禅問答と言う言葉がある通り、答えが合ってないようなものについて、「見る」「工夫する」そうで、その答えについて理解できること、見えてきた時のことを、「顕現」というのだそうです。

 

道と平常心…

中国の古い時代の公案の一つ「無門関」のテーマの中に「道」というものがあります。

その中に平常心について書かれており、「平常心とは何か?」について、答えを求めるくだりがあります。

「平常心是道」という。

 

道とは、茶道、花道、武道など、習い事などに、よく使う言葉ですが、住職の説明によると、人が取り組むあらゆることが道である、とのこと。

そして、自分が今、目の前で取り組んでいることに徹底的に向き合い、しっかりやっていく事により、「道」が出来上がるのだそうです。

 

物事には最初から道はない、とのことです。

 

どうしてもソルトちゃんは、ラクして、効率的に正解を得よう、と思ってしまうのですが…。

どうもそうでは無いようです。

 

物事に取り組むには、まずは、型(形)から入り、それを徹底的に習得する。

そして、体験した人でないと得られない経験をもって、自分なりの形を作る。

そうすることによって、ここに道ができる、という説明でした。

 

平常心とは、物事に取り組む時、人とやりとりをする時などに、頭の中を空っぽにすること。

自分の感情をそこに加えず、とにかく目の前のことを受け入れる。

 

そうすることによって、自分自身の心の中が、晴れた大空のように澄み渡る。

それが平常心なのだそうです。

 

だから、平常心であること、これが物事の道(根元、ルール)、ということと、ソルトちゃんは、解釈しました。

 

ここまで書いてきましたが、うまく言語化するのは難しい。

 

平井住職のお話は、聞いていて何となくわかったような気持ちにはなります。

でも、ちょっとよく考えないと、ちゃんとわかったとは言えないな、と、感じました。

禅問答、っていう言葉がありますが、まさにそんな感じ。

 

住職は、頭を空っぽにすること、平常心になること、について面白い例えをされていました。

これはなるほどと思いました。

 

・(小さな鐘を手にして、チーンと鳴らしながら)この鐘は、中が空っぽだから、叩くと、よく響く良い音がする。中に砂が入っていたら、良い音はしない。

 

・お茶を飲んだ後に、コーヒーを飲みたいなぁ、と思った時、普通は中に入っているお茶を空っぽにしてから、コーヒーを入れるでしょう?

お茶を入れたまま、その中に、コーヒーを入れる人は普通はいない。

 

・良い本を読んでも、「俺は、俺は〜〜」と自分のことを考えてしまうと、頭の中に入ってこない。

まずは、そのまま受け入れてみるように。

 

ちなみに、山岡鉄舟は、頼まれたりして、書を一日200枚ほど書いていたそうです。

あんぱんで有名な木村屋の看板も書いたそうです。

また、剣の達人ではあったものの、人を切ったことがなく、江戸城を、無血開城したことでも有名な人のようです。

しかし、禅を学んでいたからこそ、むやみに人を傷つけない、そして、多くのことを成し遂げることができたのでしょう。

 

ソルトちゃんも、頭を空っぽにし、自分なりの道を見つけ、人の役に立つことをたくさんする。

そんな人物になりたいと思います。

 

平井住職、ありがとうございました。

 

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