写真は岩波書店版のモモです。
「読んで」と書きましたが、正確に言うと「聞いて」です。
Kindleの読み上げ機能を使って、最初から最後まで聴きました。
ただし、本の内容についての感想となりますので、このブログの中では、紛らわしくないように「読んで」と言う言葉を使うこととします。
ミヒャエル・エンデのモモは非常に有名なお話です。
子供の頃から今まで、名前だけは知っていました。
しかし、私は小説を好きではないし、この話は、童話の類、もしくは、説教じみた小難しい寓話だと思っていたので、ずっと手を出さずに50歳まで来てしまいました。
たまたまAmazonのAudibleという機能を知り、そこでAudibleの機能を確かめるため、このお話を読んでみようと思ったのが手に取るきっかけとなりました。
少し読み始めてからすぐ感じたのは、「これって、21世紀を生きる自分たちのこと言ってるじゃん」ということです。
モモの中に出てくる大人たちは、最初はゆったりとした良い時間を過ごし、良い人付き合いをして、豊かに暮らしているのですが、ある時から、時間泥棒たちにつけ込まれ、そそのかしに遭い、「時間がないない、時間を節約しなければ、スピードを上げなければ、無駄を切り捨てねば…」などと言って、あくせくしていきます。
そして、更に余裕がなくなって、自分自身のことしか考えられない、とか、人として最も大事なことを忘れてしまっている、そして、結局、自分自身のことすらおろそかにしてしまい、一体全体何のために生きているのかわからない、という状態になって行きます。
「まさしく、私を含め、今の世の中に生きる人々にありがちな話そのものじゃないの…」と、思いました。
調べてみたら、作者のミヒャエル・エンデは、この話を1973年、約50年ほど前に発表しています。
50年前と言えば、今を生きる私たちにとって、まだまだのんびりした時代だという印象です。
その頃から、忙しさに気をとられて、人として大事なと心の在り方を失ってしまうということが、問題となっていたのだなと、いうことを理解しました。
50年前と2022年の現代を比べたら、今の方が、遥かに技術革新が進んでいます。
それなのに、人々はその技術革新により、のんびりと豊かに暮らしているか?というと決してそうではなく、世の中は混沌とし、せわしなく、あれもこれもやらなければいけなくなっています。
そして、更にスピードを求められる時代となっています。
時折、人間らしい感情、他人に気を払うなど、人としての心を忘れそうになっている時もあります。
今の時代の方が、エンデの見ていた世の中よりも、更にひどいものになっているのかもしれません。
それでも、物語の中に描かれている一つ一つの話や考え方は、私たちにとってピッタリの効果的な教訓話でもあると感じました。
また、この物語を読んでいて、面白いな、と感じるだけでなく、私の気持ちが、次第に穏やかに、落ち着くというような効果をもたらしました。
私の日々の仕事は、会社勤めであり、どちらかと言えば、長時間勤務であるため、個人的な生活にゆとりが少ない毎日です。
会社にいても、家に帰っても、家事などやるべき仕事がたくさんあります。
また、会社では、上司からそして同僚から、思いやりが少なく、不条理な対応や物言いをされ、傷つくことが多く、彼らとの関係性をどうしたらうまく保てるのか、ということについて日々非常に悩んでいます。
そんな中で、モモの人の話を傾聴する態度、それに周りの人々が良い方向に影響を受けるという場面が、物語の中に描かれている所を読むたびに、私の心が穏やかに、落ち着くのを自覚しました。
自らが強い意志を持って、辛抱強く周りに影響与えいく、というモモの態度は、自分も見習いたいと思いました。
物語は、モモたちの周りの人々のほっとさせるような人と人とのやりとり、時間泥棒がじわじわと人々を狙って暗躍していく恐ろしい様子等が描かれています。
途中からは、マイスターホラという名の時間の神様?そして、人の言葉がわかるカシオペイアという名のカメが登場します。
のんびりした童話かと思いきや、SF?のような不思議なカテゴリーの話になり、予想もできないような展開で進んでいきます。
途中で飽きてしまうことなく、どんどん続きを聞きたくなるようなストーリー展開でした。
大人でも夢中になるような内容となっています。
一通り読んでから、また再度読みたくなるような話でした。
大島かおりさんの翻訳の言葉遣いが豊かであるため、読む人の想像の世界を、うまく膨らませてくれるという効果もあるのかもしれません。
私は、せっかちな性格なので、小説や物語の類は、目で追って読もうとすると、ついつい先を急いで、成り行きを早く知りたくて、途中のところをすっ飛ばしてしまうという癖があります。
ただし、今回利用したKindleの読み上げ機能を利用して、読み聞かせてもらうと、途中を飛ばすことができないため、話の内容を順を追ってきちんと聞くことができます。
この耳で聞く、という本の味わい方は、私のようなせっかちタイプの人間にとっては、表現を十分に味わうことができるので、いいなと思いました。
家事をしながら、歩きながら、物語を楽しむことができます。
「時間がないない」と言っている自分には、ぴったりの技術です。
こんな風に、自分の物語を後世の人間が楽しんでいるとエンデは想像だにしなかったでしょう。
今後は、小説や物語については文字を読むのではなく、耳で聞いて味わうようにしてもっと物語や小説を楽しもうと思います。
なお、この本の挿絵ですが、ミヒャエル・エンデ本人の筆によるものだそうです。
線を沢山使って書き込んである絵は、作者の緻密さや想像力を、目で見て楽しむことができます。
物語の作者が描いた絵を見ることができるのは、作者が思い描いている世界をなるべく作者に寄り添って味わうことができると、私は思います。
そういった意味でもこの物語りは、楽しくて、良い本だなと思いました。
ただし、耳で聞く読書では挿絵の世界を味わうことができないものですから、これは後ほど、本を開いて確認することとなります。