「毎日1ミリ前進!」を目指す女性中間管理職ソルトちゃんです。
あまり期待していなかったものの、そこにある意外性に気づくと、途端に好奇心がむくむくと湧いて、楽しくなってくることがあります。
昨日、訪れた京都で、そんな体験をしました。
京都の東区にある蹴上駅で、人と待ち合わせをしました。
そこで、レンガ作りの不思議なトンネルを目にしました。
いかにも古そうなトンネルです。
何も考えず、そのトンネルをくぐって、脇にある階段を登り、トンネルの上部の高さに上ると、幅1メートルちょっと位の水路がありました。
その隣には、線路が走っています。
線路は、草が生えており、もう使われていないもののようです。
不思議な風景だなあ、と、思っていたら、
「これが琵琶湖疏水です」と、同行してくれた京都在住の方が教えてくれました。
そして、水路の脇に走っている線路は、琵琶湖から京都まで船を運ぶときに使った線路だ、とのことです。
琵琶湖から船を運ぶ…!
学生の頃、社会科の授業で、その名前を聞いたことがあります。
琵琶湖から水を引くために作った用水。
あー、これがそうなんだ、と思いました。
水路の水は、かなりの速さです。
深さは、見たところ1メートルもなく、50センチ位でしょうか。
いや、もっと浅いかもしれません。
しかし、流れにはかなりの勢いがあります。
ザーザーと、音を立てて流れています。
その水は、少し先の大きな池に流れ込み、その池は深い緑色をたたえていました。
その一角は、公園のような広場になっていました。
広場の敷地内には、博物館、隣には動物園がありました。
どうやら、この辺の一帯は京都の人達の憩いの場となっているようです。
この一帯を通り過ぎて、少し離れた南禅寺まで歩きました。
南禅寺は、京都の有名なお寺の一つ。
お豆腐料理が有名。
ソルトちゃんには、南禅寺と言えば、これぐらいの知識しかありません。
驚いたことに、南禅寺の敷地の中に、先程と同様のレンガ造りの建造物が、そびえ立っていました。
ものすごい違和感。
さっきの蹴上のトンネルよりもかなり高い。
高さ何メートルあるのでしょう。
どうやら、水路のようです。
こちらも上に登ることができたので、階段を上って、上から覗いてみました。
先程の蹴上にある水路と同じ位、さほど幅は広くないし、底が見え、水も深くないのですが、流れは、かなりの勢いです。
ザーザーと、勢いよく水が流れていきます。
これも、琵琶湖疏水の一部なのだそうです。
京都は、数々のお寺が並んでいて、
ゆったり、穏やか、のんびり、雅、
というイメージがありました。
しかし、その印象を覆すような、思いもかけない近代の建造物、お寺とは違う、少し後の明治時代の遺物を目にし、非常な違和感を覚えました。
家に帰ってから、気になり、いろいろネットで調べてみました。
当初、施工のためにあてた予算は、当時の京都府の年間予算の2倍。
莫大な金額です。
当時、大学を卒業したばかりの21歳の技師を担当に据えて竣工したそうです。
大学を出たばかりで、そのような大役を仰せつかるとは、ものすごいストレスがかかりそう。
滋賀県の琵琶湖から、京都に至るまでの山の下、地下を掘って水路をつくるため、地面の上から穴を開け、そこから地下に潜り、琵琶湖側と京都側に地下トンネルを掘り進めるという工法などを用いたそうです。
日本地図で見ると、琵琶湖から京都の間はたいした距離でないように見えますが、それでも疏水の長さは20キロメートル。
現代と違って掘削する機械がない明治時代に、人の力で、地面を掘り進めるのは、かなりの重労働であり、困難を極めたことでしょう。
最初の疏水作りを計画した時から、約10年後、第一疏水ができ、その後、第二疏水も作られ、その後もう一つの補助疏水が作られました。
この水の流れで、京都は水に困らず、また、この水は工業用水としても使用され、加えて水力発電にも活用され、京都の発展に大きな影響を与えたとのことです。
明治時代のロマンというか、当時の京都の町を発展させようという人々の執念というか、人の力が成せる偉業を目の当たりにする機会を得て、心を打つ思いを覚えたソルトちゃんでした。
南禅寺にある水路は、苔むして、モダンな感じの作りです。
そこをザーザーと流れる水の勢いを見ていると、当時の人々の強い意志や執念を感じます。
今まで意識したことのない京都の魅力を感じることができた1日でした。