私が、仕事から帰宅して一生懸命作ったパスタに、キノコがひとかけら入っているのを見つけ、席を立ってプイっと行ってしまった長男。
「これ捨てていい?」と憮然とした表情で聞く。
21歳のひきこもり長男は、キノコが大嫌いなのである。
私は、キノコは大好きである。
大体、きのこには、ガンを防ぐ栄養素や食物繊維が入っているのだ。
50代になったら、尚更、毎日取りたい食材である。
しかし、毎日会社勤めで帰りが遅い身だから、自分用と長男用に、別に料理を作っている暇は無い。
だから、いつも、キノコ入りの炒め物や、その他キノコ料理を作る時、長男の皿には、キノコが入り込まぬよう、目を凝らして、箸で取り除き、確認の上、盛りつける。
しかし、時として、ウッカリ、キノコの欠片が、長男の皿に紛れ込むことがある。
「『 キノコを入れるならご飯作らなくてイイ』って、前に言ったでしょう。キノコが入っていることではなく、自分が言ったことを聞いてもらえないと思うと、イライラする。」
と長男。
この長男、いつも、部屋にこもって、物を言わず、黙っているのだが、今夜は違った。
苛立ちを全身で表現しながら、私に向かって言う。
確かに、そんなような言葉を、前に聞いた覚えがある。
しかし、自分で実際に出歩いて食べ物を調達できる子供なら、放置しておくが、相手は引きこもりの子供である。
おまけに、近頃、「生きるのが辛い、死にたい」などと問題発言をしている以上、少しでも気力を取り戻すために、生きるために必要なご飯は最低限用意してやりたい、と思うのが親心ではないか!
たとえ、キノコが中に入っていたとしても、いいじゃないの…。
内心そう思い、私は、言う。
「確かに、前にそんなようなこと言われたけれど、私が作らなかったら、ちゃんとご飯、食べないでしょう。それに、君も、私が言った家事を、ちゃんとやってくれてないんじゃない、何度言ってもお願いした仕事をきちんとやってないし。」と応酬する。
長男、「面倒なのでキチンとやれないのだ、生きる気力がないので、できない。」
そう言って、部屋にこもってしまう。
ガーンと、アタマを殴られたような気分になる私。
長男が、私が作る「こっそりキノコ入りご飯」の中にキノコを見つける度に、そんな風に考えていたとは思いもよらなかった。
子供が自分で考えて言った言葉をすっかり忘れていて、その言葉をきちんと受け止めていなかった自分。
親としての未熟さに気付く。
子供だとか、引きこもり、とか、言っても、相手は既に21歳の成人なのである。
よくよく考えたら、「生きるのが辛い」と言いながらも、時折、腹が減ったら、自分で麺を茹でたり、キャベツを刻んでお好み焼きを焼いたりして、ご飯を食べている。
本当は、自分で自分のことができるのだ。
100%完璧なやり方ではないにしろ。
もう少し、子供が言ったことを尊重し、認める、ということが必要であった、と、悟った。
自分を認めてもらっていない、言うことを聞いてもらえていないという風に彼は思ったのであろう。
「オレのメシにキノコを入れるな」なんて、些細なことなんだけど、息子にとっては、意味のある大いなる主張であったのだろう。
そして、子供に対し過保護なところがある自分自身にも気づかされた。
確か、岸見一郎さんの「嫌われる勇気」の中に、引きこもりの人間は、自分で選んで自分を守るためにそうしていると、いうような記述があったように覚えている。
私は、子供の引きこもり問題に悩んでいる。
それを子供の問題ではなく、自分自身の問題として考えてしまい、過剰に反応しすぎているのでは、と、ハッとさせられたのであった。
仕事で疲れて帰った金曜日の夜が、長男に怒られることにより、更にどっと疲れが襲ってきて、くらーい気分になってしまった。