女性中間管理職ソルトの「へーそうなんだ~」日記

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関ケ原を訪問して、ようやく関ケ原の戦いが何たるかを大体理解するの巻

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皆さん、「関ケ原の戦い」ってご存知ですか?

小学校や中学校の社会科の授業で、歴史を学ぶと必ず出てくるので、その名をご存知の方は多いと思います。


「1600年、天下分け目の関ケ原の戦いにより、徳川家康が勝利する。以降、日本がまとまり、1603年から265年もの長きにわたる江戸幕府が始まった。」


私が関ケ原の戦いについて知っているのは、これだけの知識です。

いや、正直に言いますと、265年、というのは、さっき自分の家にあるAmazon Echoに、「アレクサ、江戸時代って、何年続いた?」と、尋ねて、教えてもらいました…。

江戸幕府が、何年続いたかも確実に覚えていないというレベルです。


私は歴史には全く興味がありません。

ですから、関ケ原の戦いとは、何がきっかけで起きたのか、どんな武将が参戦したのか、どんなドラマが繰り広げられたのか、そして結果は一体どういった形で終わったのか、などという具体的な知識を全く持ち合わせておりませんでした。


しかし、このたび、私は、岐阜県不破郡にある関ケ原へ行き、古戦場の跡地を実際に目にしてきました。

東海自然歩道の一部をウォーキングするためだったのですが、2月の関ケ原は、まだ雪が残っている状況。

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山の麓にある林の中も少し歩きましたが、そこは、雪の中に足をズボズボと突っ込みながら歩く、という雪上歩行ならぬ、雪中歩行状態となってしまいました。

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(池も見事に凍っていました)


ニューバランスのスニーカーの中を溶けた雪でびしょびしょにしながら、開戦地とか、戦いの跡地、陣地があった所、などの旧跡を巡りました。

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岐阜県不破郡関ヶ原町は、低めの山に囲まれた土地です。

駅のある街の中心部から山までは、民家が並び、民家が途切れたところから、山のふもとまで辺り一面、田園地帯が広がっています。

といっても、田畑は積もった雪の下にあり、訪問した時は雪のため辺り一面、見事な雪景色。

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戦いの記念碑などを一巡りして、街中に戻ってきたウォーキングの最後に、変わった形の大きくて立派な建物を見つけました。

それは、岐阜関ヶ原古戦場記念館という名前の施設でした。

1年ほど前にできた建物のようです。

新しくてとても立派。

どっしりしたした感じで迫力があります。

 

https://sekigahara.pref.gifu.lg.jp/


入館料が500円と手頃だったので、せっかく来たのだからと入ってみました。

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シアターがあるという事だったので、それほど期待せずに見てみましたが、その技術のレベルにびっくり。


関ケ原の戦いのきっかけ、参加した武将たち、それぞれの武将たちの軍勢がどんな順番でどんな向きから戦いに挑んだのか、ということについて、リアルな映像と臨場感のある説明と、効果音でうまく説明がなされていました。

ウォーキングで巡ってきた名所旧跡に、看板等があって、戦いのことを文字でつらつらと説明書きがあったものの、歴史興味なし、人物名がいまいち頭に入らないという私は、このシアターで、関ケ原の戦いのあらましをようやく理解。


以下が、この記念館で、私が理解した内容です。

(関ケ原の戦いに詳しい方からすると、ちょっと〜、その解釈、違うんじゃないの?!というところがあるかもしれません。あくまでも私なりの理解です。悪しからず。)


・そうか!関ケ原の戦いは、石田三成勢と徳川家康勢の戦いで、石田三成は西軍、徳川家康は東軍という位置づけだったのね!

石田三成は、豊臣に忠誠を誓っていて、徳川家康の動きを抑えようとし、徳川家康は、その豊臣の天下を完全に奪い取ろうとしてたのだ!

・その2つの陣営に、島津だとか小早川だとか、福島、井伊、小西、黒田、細川、などなど、西国から、そして東国から、と、多くの武将が自分たちの軍勢を引き連れて参戦し、ぶつかりあって戦ったのが、関ケ原の戦いだったのだ!

・戦いは9月(今の10月)に行われ、数時間で決着がついたんだ!ガチンコ勝負を何日もかけて戦ったのではないのだ!

・みんなが関ケ原に集結して戦い始めたものの、石田三成が率いる西国側についていた小早川など、一部の武将が寝返って、東軍として西国側軍勢に攻め込み、混乱!

・そして、戦いに駆けつけたものいつまでも参戦しなかった西軍の島津軍勢は、結局戦わずして走って逃げ去った!

石田三成軍勢は、形成不利と、判断し、逃げ去った!


記念館では、グラウンドビジョンという技術で、まず、床に大きな関ケ原の地図を映し出して、この戦のアウトラインが説明がされます。

続いて、映画館のような椅子のあるシアターで、戦の最初の部分から最後まで、再現がされます。

戦いで兵士たちがぶつかり合い、斬り合う様子、対象の武将たちが叫び嘆く様子が、リアルな音と映像、そして、振動を用いて巧みに再現されています。

戦いのシナリオが、よく理解できました。


自分が先ほど、雪の中を行軍し、巡って見てきた関ケ原の原っぱで、こんな風に戦いが、繰り広げられたのだ、ということをまさに体感することができたように思えました。

おかげさまで、歴史本やら、単に目で映像を追うだけでは全く頭に入らなかった関ヶ原の戦いのあらまし、その構造を、自分なりに理解することができました。


記念館では、シアターなどのほかに、主だった武将の甲冑の複製、徳川家康豊臣秀吉の所の複製、刀や鉄砲などの複製、当時を具体的にイメージしやすい資料が展示されていました。

それらには丁寧な解説が付けられており、戦やら歴史には、全く興味のない私でも、退屈せずに見ることができました。


それにしても、戦いのない世に生きることができて良かった。

ほぼ丸腰状態で、敵に向かって走り寄り、組み打ち、次々と倒れていく兵士のリアルな様子をシアターの映像で見て、恐ろしくなり、ブルブルッと震えました。

命を粗末にするなぁ、、、と。

そして、虚しく思いました。

昔の男の人は、厳しい時代の中で生きてきたのね。

 

現代の世に生きていると、日々いろいろ思い悩むことがあるけれど、不条理に命を落とす確率は少ない。

 

こんな戦で、ブスッと槍に刺されたら、あっという間に一貫の終わりじゃないの。

せっかく命を受けて生まれてきたのに。

 

今の世の中に生まれてよかった。

自分に与えられたこの時間や体、そして、命を大事にしよっと、と思い、その日は、帰途につきました。

 

あと、私が、興味を惹かれたのは、この当時の人を動かす術についてです。

この戦にはおよそ160,000人が参戦したという推定なのだそうですが、大将は自分が望んだことでしょうから、いざ知らず、末端の兵隊たちまでをいかにして統率したのか、という事について非常に興味深く感じました。

近所から、ちょいと気軽に岐阜県関ヶ原まで来て参戦するならいざ知らず、遠く離れた西は遠く九州・四国から、東は、北陸・関東から、兵を歩いて引き連れてきて命を賭けた戦いさせるとは、一体全体、当時はどんなエネルギーとモチベーションがあったのか、どんな人間模様があったのか…。

食料はどうしたのか、途中、病人、怪我人が出たらどうするのか、費用はどうやって賄ったのか…。

管理者の私としては、そういったところが実際はどうだったのだろうと、ものすごく気になりました。
人身掌握術とか、組織の運営方法とか。


おそらく、歴史の好きな方はこういうことに思いを馳せることにより、いろいろなイメージを膨らませ、楽しむのでしょう。

歴史の面白さについても、ちょっとだけ理解ができたように思いました。


皆様、もしも、実際に関ケ原に訪問されるのであるならば、雪が溶ける頃、3月以降に行かれることをお奨めいたします。

関ケ原の地形を体感してから、記念館でより詳しい知識を学ぶ、もしくは、先に記念館で予習をしてから、関ケ原の地形を足で回って確認するも良し、だと思います。