皆さんは、今年のお正月、年賀状は出されましたか?
世間では手紙離れが進み、1人あたりが差し出す年賀状は約十数枚なのだそうです。
「SNSで新年の挨拶ができるから、年賀状は一切出さない」という選択をされる方もいるようです。
私の場合、会社の業務内容と、職場での立場上「出さない」という潔い選択肢は選びがたいです。
だから、今年についても郵便局で官製年賀葉書を購入し、デザインをパソコンで作って、自宅でプリンターを使って印刷して出しました。
しかし、書き方や出し方については、昨年までと大幅に変更しました。
今日は、企業の中間管理職である私の年賀状についての考え方と、何をどう変えたかということについてお話をします。
私は、年賀状の宛名書きを、小学生の頃から、くれたけ、もしくは、ぺんてるの筆ペンを用いて、1通1通手書きで書いています。
これは、母親のしつけによるものです。
母が、私にそうさせた理由は忘れてしまいましたが、子供の頃から習字を習っていましたので、その実践も兼ねてだったのでしょう。
また、筆文字にすることにより、相手に敬意を表することができる、という考えによるものだと思います。
ただ、その文字を汚く書くと、頭をひどくどつかれた、、、という苦い思い出も残っています。
子供の頃の刷り込みというの恐ろしいもので、半世紀生きてきた今でも、なんとなく年賀状の宛名は、手書きでないと落ち着きません。
またボールペンの手書き文字でも、しっくりしません。
まして、パソコンで宛名を印刷書きするというやり方は、私の場合、到底受け入れがたいやり方です。
そんないい加減な手抜きをしていいのか、と思えてきます。
こんな話をすると、「あんたは、なんて前近代の頭の固い人間なんだ!」と思われるかもしれません。
しかし、この筆ペンによる宛名書きというのは、それなりに効率的というか、得られる効果が、私なりにあったりします。
それは以下の通りです。
1ボールペンよりも筆圧が少なくて済む。
実は、ボールペンより力要らずて、意外と書きやすい。
2受け取った相手から記憶されやすい。
筆で相手の名前と住所を書くことにより、数ある年賀状の中で自分が出したものは、目立つ。希少価値があります。
3受け取った相手から、「自分は丁寧に扱ってもらっている」という気持ちを持ってもらえる。
今どき、筆で宛名を書く人が少ないので…。
4自分の心を落ち着かせる効果がある。
書いた文字の状態で、自分の心の状態を知ることができる。
自分の心が落ち着いてない時に宛名書きをすると、面白いことに、字が斜めっていたり、バランスの悪い文字になったりします。
文字は、本当に自分の心を映し出していると自覚します。
5手を動かして宛名書きをしている最中、脳が活性化し、楽しい。
年賀状を出す相手との過去のやり取りや、出来事などについての記憶を思い起こします。また、相手の名前の漢字について、こんな字だったのだ!と改めて認識したり、相手の住んでいる土地に、一体どんなところなんだろう、と、いろいろな思いを馳せることができます。
これは、相手への興味をより抱く良いきっかけとなります。
ただしこれは、決して、ストーカー的な考えではありませんので、あしからず。
以上ですが、読んでいただいてお分かりのように、この作業は、差し出す相手が嫌いな人だったり、興味のない人では、全く楽しくありません。
筆ペンで宛名を1枚書くためには、平均70秒ほどの時間がかかります。
私は、年賀状を多い時で、400枚ほど出していました。
改めてそれにかかる時間を概算で計算してみました。
400枚書こうとすると、準備や後片付けの時間も含め、宛名書きの作業だけに10~11時間程度はかかる計算になります。
300枚書こうとすると、宛名書きだけで8~9時間ほどかかる計算です。
1日では、気力が持たず、仕上がりませんので、それを12月の間に時間を見つけてコツコツと宛名書きをおこないます。
子供が保育園、小学校で手がかかる子育て中の時も、仕事で帰りが遅くなり、プライベートの時間が少なくなって忙しい時でも、スキマ時間を見つけては、筆ペンを使って宛名書きをして、仕上げていました。
宛名書きが終わったら、今度は通信面の添え書きも、1枚1枚コツコツと行います。
そうすることが、正月を迎えるための準備であり、出す相手への義理もあるので、そうすべきと考えていたからです。
しかし、ここ最近、その作業時間を、勿体ない、と思う気持ちが強くなってきました。
これは今までの私にとって、なかった気持ちであり、自分の中では大きな気持ちの変化です。
宛名書きが楽しい、と、感じる時間と、いつまでも終わらず、キリのない作業が辛いと、ストレスを覚えるようになりました。
作業にかける時間と、それによって得られる楽しさについて、誰にも気兼ねすることなく、バランスを保つことが大切だと感じるようになりました。
これは、私が半世紀生きてきて歳をとって、気力がなくなってきたからなのかもしれません。
それとも、人生の折り返し地点を過ぎ、終活を意識し、年賀状を書く相手の人間関係を縮小して精算していかないと、、、、という思いが少しずつ頭をもたげてきたからかもしれません。
近頃、ダイレクトメールのように、宛名も通信面もオール印刷で、手書きの文字が全くない年賀状をいただくことがかなり増えてきました。
1番の理由は、これに出す返事に使う時間が勿体ない、と思えるようになったことだと思います。
こういった手書き文字一切なしの年賀状は、私の会社の社員からのものばかりです。
自分より目上の方なら、仕方がないと思えるのですが、自分よりずいぶん若い20代、30代の若手社員でも平然と、管理職の私に手書き文字のない年賀状を送ってくるのは、如何なものかと思ってしまいます。
中には、デザインにも内容にも特にこだわりやセンスもなく、とりあえず仕立てて元旦に間に合うよう出しました、といった感じで、気持ちがあまり伝わらないような、特徴のない年賀状も見受けられます。
今までは、自分が出すつもりのない社員から、そういった味気ない年賀状を受け取った時でも、セッセと手書きの宛名書きをし、通信面には添書きもして、律儀に返事を出していました。
そうすることが、相手に対する礼儀で、自分の義務だと思ってきたからです。
しかし、その作業が、何だか虚しくなってきました。
そして、時間が勿体ない、と、より強く考えるようになってきました。
私は、表も裏もオール印刷で、手書きの文字が一切ない年賀状のことを、密かに「DM年賀状」と呼んでいます。
こういった年賀状を出してくる人は、大抵の場合、私という人間に関心が薄く、とりあえず出しておけば間違いは無い、と考えているのでしょう。
もしくは、そもそも、手紙や葉書に関する思い入れが、少ないのでしょう。
時間は有限です。
お金と違って目には見えないので、残りの半世紀は、大事に大事に使っていかないと、あっという間に月日は流れていきます。
どうでも良いお付き合いに時間を使う事は、少しずつ避けていきたいものです。
自分と価値観が違う人に義理立てをして、自分の時間を削ってまで、その人に尽くす必要はない、と思いました。
よって、今年の正月は、意義の少ない年賀状の宛名書きはやめようと、決心しました。
義理チョコならぬ義理年賀状はやめる、ということです
出す相手の棚卸しをしました。
そうしたら、結局100通ほどとなりました。
この枚数であれば、手書きの宛名書きは、さほど負担感はありません。
あと、元旦以降に届いた年賀状で、自分が出していなかった相手に返事を書くことになります。
そういった年賀状に対する返事は、年上の方からであっても、年下の社員であっても、以下の条件を満たすものについては、出すのはやめよう、と、決めました。
・表も裏も手書き文字なしの「DM年賀状」
・添書きとして書く文句が「今年もよろしくお願いします」としか書きようのない相手
でも、結局そのルールは厳格には守れませんでした。
自分が出すつもりではなかった人からいただいた年賀状を1枚1枚見返すと、その人から受けた恩であったり、楽しかった思い出、その人とのちょっとしたやりとりなどが浮かんできます。
そうすると、何かしらの返事は書きたくなります。
仮にそれがDM年賀状であっても、こちらが伝えたい思いがある方からのものであれば、手書きでせっせと宛名を書いて、返事を出しました。
また、同じ会社のフロアで仕事をしている社員からのものについては、DM年賀状であっても、返事を出さないと悪いかなと、というプレッシャーに耐えられず、これにも一部返事を出しました。
こちらは、ずいぶんつまらない宛名書き作業となりました。
それでも相手に対する添え書きは、真心を込めて書いたつもりです。
本日、ようやく、いただいた年賀状への宛名書きと添え書き作業が全て終りました。
結局、今年は、250枚の年賀状を出すこととなりました。
時間節約、終活、そして嫌なことは割り切ってやらない、という気持ちから、年賀状の棚卸しを自分なりに考えてしてみましたが、今年は、ちょっと中途半端でした。
来年は、負担によるストレスを覚えない程度に、楽しく取り組み、そこにかける時間のバランスを上手くとっていきたいと思います。
しかし、ひと通りの年賀状を書く作業を終えて分かりましたが、やっぱり私は手紙・葉書を書くということが、好きなようです。